天保小判金(保字小判)・小判の買取は大阪の買取龍馬くん


天保小判金(保字小判)・小判は大阪の買取龍馬くんに是非お問い合わせください。 買取龍馬くんは全て独立自営です。
天保小判金(保字小判)・小判の買取は大阪の買取龍馬くん

天保小判金(保字小判)・小判の買取り

金買取なら大阪の買取龍馬くん>天保小判金・小判

買取龍馬くん店舗情報

金買取の買取龍馬くん

ロレックス買取・ROLEX買取の買取龍馬くん

切手買取の買取龍馬くん

天保小判金(保字小判)・小判の買取

天保小判(てんぽうこばん)とは天保8年7月21日(1837年)から鋳造が始まり同年11月15日より通用開始された一両としての額面を持つ小判であり、保字小判(ほうじこばん/ほじこばん)とも呼ばれる。また天保小判および天保天保一分判を総称して天保金(てんぽうきん)あるいは保字金(ほうじきん/ほじきん)と呼ぶ

表面には鏨(たがね)による茣蓙目が刻まれ、上下に桐紋を囲む扇枠、中央上部に「壹兩」下部に「光次(花押)」の極印、裏面は中央に花押、下部の左端に小判師の験極印、吹所の験極印さらに右上に「保」字が打印されている。
特製の献上小判も作成され、この小判師の験極印、吹所の験極印は意図的に「大」「吉」が打たれている。

品位(千分中)・・・金568/銀432
量目・・・11.2グラム
発行数・・・8,120,450両
特徴・・・背に保の極印有り

天保小判金(保字小判)・小判のデザイン


天保小判金の画像  
天保小判金の画像

新文字金は品位が元禄金よりさらに劣るものであったため品位を上げるという名目であったが、品位の上昇は僅かで、量目が6/7倍に削減されるという、天保の大飢饉などによる財政赤字補填を目的とする保字金への吹き替えであった。この吹替え(改鋳)は御金改役の後藤三右衛門光亨の主導の下で行われ、出目(改鋳利益)により江戸城御金蔵の分銅金を備蓄するという目的もあった。
この保字小判からローラーによる延金が行われるようになり、完全手工業による以前の小判と比較して格段に平面性および均質性が向上した。金品位は高くないが色揚げが丁寧に行われ、表面の金色は元文および文政小判より向上している。
この頃から貨幣の流通が、草文二分判、二朱判および一分銀のような名目貨幣が主流となり、小判の鋳造量は減少し、丁銀に至ってはさらに鋳造量が衰退した。また保字小判の含有金量は、これ以前の文政11年(1828年)に発行された草文二分判のほぼ2倍に等しく、これは文政小判が真文二分判の含有金量を元に品位が決まった現象と同様である。
この吹替えに伴い文政期に乱発された多種の通貨を整理するため旧貨幣の引替催促はより厳重なものとなり、天保13年8月2日(1842年)に古金銀、文政金銀、草文二分判、南鐐二朱銀および一朱銀を通用停止とし、これらを所持するものは差出させ、翌年10月までに引替を命じたが、その後再三に亘って引替期限は延期されている。

当初、旧金(慶長金、享保金)および新金(文字金)は無差別通用という触書であったが、江戸の十組問屋から品位の異なるものを無差別通用とするのは不可能との嘆願により、暫定的という条件で、引換の増歩と同率の旧金は65%増しという割合遣いを認めざるを得なかった。一方。このような大幅な増歩での交換は通貨の急激な増大につながり、発行当初は急激なインフレーションに見舞われたが、この貨幣吹替えが当時の経済状況に即したものであったため、やがて物価および金銀相場は安定し、文字金銀は広く普及するようになり80年以上の長期間に亘り流通することとなった。そのため流通による損傷が著しく、金座による直し小判が少なからず存在し異式槌目のものがそれであるとされる。通用停止は文政7年3月(1824年)の触書では8年2月迄(1825年)であったが、延期され文政10年1月末(1827年)となった。

旧20円金貨・明治金貨の買取

旧20円金貨・明治金貨の店頭買取は買取龍馬くん
旧20円金貨・明治金貨の宅配買取は買取龍馬くん。
旧20円金貨・明治金貨の出張買取は買取龍馬くん


金買取の情報

買取龍馬くんフリーダイヤル 簡単・買取査定はこちら 楽々!宅配買取 リピーターさんの多いお店・買取龍馬くん店頭買取 金買取・買取龍馬くん・お客様の声