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万延小判金(新小判・雛小判)・小判の買取

万延小判(まんえんこばん)とは万延元年4月9日(1860年5月29日)から鋳造が始まり翌4月10日(5月30日)より通用開始された一両としての額面を持つ小判である。新小判(しんこばん)あるいは雛小判(ひなこばん)とも呼ばれる。また万延小判および万延一分判を総称して万延金(まんえんきん)と呼ぶ。


表面には鏨(たがね)による茣蓙目が刻まれ、上下に桐紋を囲む扇枠、中央上部に「壹兩」下部に「光次(花押)」の極印、裏面は中央に花押、下部の左端に小判師の験極印、吹所の験極印が打たれ、年代印は慶長小判と同様に打たれていないが、量目が非常に小さく小型のものであるため、他の小判との区別は容易なものとなっている。
特製の献上小判も作成され、この小判師の験極印、吹所の験極印は意図的に「大」「吉」が打たれている。

品位(千分中)・・・金574/銀426
量目・・・3.3グラム
鋳造期間・・・万延元年〜慶応3年
発行数・・・625,050両
特徴・・・特に小型

万延小判金(新小判・雛小判)・小判のデザイン


万延小判金の画像  
万延小判金の画像です

安政6年6月2日(1859年7月1日)の開港に備えて水野忠徳は日本国内の小判流出予防のため二朱銀を発行したが、外国人大使らの激しい抗議により、短期間での安政小判および二朱銀の鋳造停止に終わった、安政の吹替え(改鋳)であったが、小判の国外流出は僅かな期間に多額に上ったため、ハリスは以下の2案を提案してきた。
「1:銀貨の量目を増大させ金銀比価を是正する」
「2:小判の量目を低下させて同様に金銀比価を是正する」

1の案はまさに安政の幣制そのものであったが、幕府にもはや「今更何を」と抗議する力はなかった。また、水野忠徳は小判の量目低下は激しいインフレーションを招き、幕府が吹替えによりこれまでに得た利益を帳消しにすることが予想されたため小判吹替えには消極的であった。一方でオールコックは健全な貿易取引促進のため日本の金銀比価の是正させるようハリスに進言した。幕府側は金銀比価の是正手段として金地金の保有高の事情から2の案を採らざるを得なかった。そこで天保小判に対し、品位はそのままで量目を3割以下と大幅に低下させる吹替えを行った。含有金量は慶長小判の約8.1分の一となった。これにより新小判に対する安政一分銀一両の金銀比価は、ほぼ国際水準である15.8:1となった。新小判の発行に先立ち、安政7年1月(1860年2月頃)に既存の小判は含有金量に応じて増歩通用とされることとなり、保字小判一枚は三両一分二朱、正字小判一枚は二両二分三朱通用となった。このため江戸では三倍もの額面の新小判に交換される旧貨幣を所持する者が群衆となって両替商へ殺到し大混乱に陥る騒ぎとなった。これは激しいインフレーションを意味し、物価は乱高下しながらも、激しい上昇に見舞われた。また新小判でさえ鋳造量は少数にとどまり、実際に通貨の主導権を制したのは、さらに一両当りの含有金量が低く、鋳造量が圧倒的に多い万延二分判であった。一両当りの含有金量としては慶長小判の約11.4分の一に低下したことになる。このため幕末期の商品価格表示は流通の少ない小判の代わりに有合せの二分判および二朱判などを直立てとする「有合建(ありあいだて)」が行われるに至った。この万延二分判にも財政難に悩む各藩による、銀台に渡金した贋造二分判の製造が横行し、幕府には既に取り締まる力はなかった。

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