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享保小判金・小判の買取

朱子学者である新井白石は金銀貨の品位低下および量目(質量)低下は公儀の威信の低下に連動すると力説し、慶長の幣制への復帰を建議し、吹替え(改鋳)が行われた。正徳金流通開始に伴い、正徳4年5月15日の触書で古金に対する引替は以下のように定められた。

元禄金100両:正徳金50両に1両1分の増歩
乾字金100両:正徳金50両に2両2分の増歩
元禄金、乾字金共に2両を以て正徳金1両と等価通用。しかし、流通が開始されると伴に慶長金より品位が劣るとの噂が広まる。これは新金(正徳金)は初期の慶長金の品位を忠実に再現したため、一般に多く流通している、三代目後藤庄三郎良重以降の品位を上げた慶長小判に対しては含有金量がやや劣るということであった。二分通用となった宝永小判と同じ金品位でありながら2枚分の量目よりも不足していることによる不満が原因であったともいえる。正徳金は初期の慶長金として位置付けられる武蔵墨書小判の品位に近いことから、武蔵判(むさしばん)と呼ばれるようになる。このように、試金石による分析であっても熟練者であれば1-2%の品位の違いを判別することは充分可能であったわけである。このような経緯により僅か4か月足らずで再び吹き替えに至ることとなる。

品位(千分中)・・・金857/銀143
量目・・・17.72グラム
鋳造期間・・正徳4年5月〜8月(1714)
鋳造量・・213,500両
特徴・・・慶長小判に似ているが光次の書体が異なる

享保小判金・小判のデザイン


デザイン  
享保小判の画像

表面には鏨(たがね)による茣蓙目が刻まれ、上下に桐紋を囲む扇枠、中央上部に「壹兩」下部に「光次(花押)」の極印、裏面は中央に花押、下部の左端に小判師の験極印、さらに吹所の験極印が打印されている。慶長小判と同形式で先の正徳小判とも類似するが、裏面の花押が慶長のものと比較して小さく、表の「光次」の「光」の末画と「次」の第四画が離れ、いわゆる「離光次」のものが享保小判とされる。初鋳は正徳期であり本来は正徳後期小判(しょうとくこうきこばん)と呼ぶべきであるが、鋳造期間の大半が享保期に属することから、正徳小判と区別する意味で享保小判と呼ばれる。裏面右下に「弘」または「久・」の極印が打たれたものが存在するが、この極印の意味については現在のところ未解明である。さらに佐渡の金座で鋳造されたものは裏面に「佐」の極印があり、佐渡小判(さどこばん)あるいは佐字小判(さじこばん)と呼ばれる。佐渡小判は小判師の験極印、さらに吹所の験極印の組み合わせが「筋」「神」、「利」「神」、「高」「神」、「又」「神」に限られる。慶長の幣制への復帰により発行された正徳金であったが、品位の差から評判が良くなく、さらに二分通用と定められた宝永小判2枚分の量目より不足していたなどの関係から、間もなく三代目後藤庄三郎良重以降の慶長小判の品位すなわち「見増の位」に復帰する吹き替えが行われた。金品位を上げたのであったが、産金量はすでに衰退しており、品位の低い元禄金および量目の少ない宝永金の回収による吹き替えが主流であったため通貨量が縮小し、また徳川吉宗の政策による米の増産も重なり、次第に物価特に米価が下落し、不況に陥ることになり、年貢米の換金効率の低下から武士層は困窮することになった。また、宝永4年(1707年)に藩札の発行が禁止されていたが、各藩からの要望に加えて通貨不足の緩和策として、幕府は享保15年6月(1730年)に藩札発行を解禁することとなった。通用停止は慶長金、正徳金伴に元文3年4月末(1738年)とされたが、引換回収を図るため延長され、最終的には文政10年1月末(1827年)であった。

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